経話§アバドとベーム~八十歳~

先月80歳で亡くなった、クラウディオ・アバド最後の録音と思われる
CDを聴いた。

マルタ・アルゲリッチのピアノ独奏で、モーツァルトのピアノ協奏曲
第20番と第25番。ルツェルン音楽祭におけるライブ録音である。

画像

モーツァルト管弦楽団のすっきりとしたシェイプされた音色は、アバ
ドの賜物なんだろうなと思いながら、彼に“老成”という言葉があり
得なかったことに気がつく。

ベームの実演を初めて聴いたのは1977年で彼が83歳の時だった。ウィ
ーン・フィルを指揮したベートーヴェンの6番と5番の交響曲だった
が、いわゆる“伝統的なドイツ音楽”の重厚さを具現化した演奏で、
その印象をもってベームが老境にあったからと言い切っていいものか
どうかではある。

もちろん、ベーム五十代、六十代の頃の演奏は、十分にテンポ感があ
って、峻烈な音楽を聴かせていたりしていたのだが。

そうなると、同年齢だったからということが、どれほど音楽に反映さ
れるものなのか……単純に個々の芸風が大きく影響していると考える
ほうがいいものかどうか。

それにしても、ベームとアバドのレパートリーが意外なほどに重なり
合っているのだということにも気がついたりして、驚くことしきり。

そうした中にカラヤンを放り込んでみると、自分自身が老境にあって
も、そうであることを意識的にか無意識にか排斥した音楽づくりをや
っていたように想像できそうなのである。

音楽は、その人その人の生き方の反映であるということが、アバドの
死を通じておぼろげに理解できたようだ。

《クラシックのトピックス一覧》

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック