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zoom RSS 雅話§百人一首考[4]〜たごのうらに〜

<<   作成日時 : 2015/02/10 00:00   >>

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[承前]

山部赤人(やまべのあかひと)

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 
富士の高嶺に 雪は降りつつ


万葉集に所収されていた時は以下のような歌だったのだが、百人一首
掲載にあたり選者である藤原定家によって改作されている。

田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける

現代人にしても“ゆ”よりは“に”のほうがわかりやすく感じられる
が“真白にそ”を“白妙の”に直したのは、いかなる理由があったも
のかと思ってしまう。

ちなみに、田子の浦ゆの“ゆ”は、経由の“由”だそうで、田子の浦
を通ってという意味になるのだが、定家の時代には既に“ゆ”遣いが
消滅していたということで“に”とされてしまったのだが、意味する
ところは相当に違うようである。

そう考えると、昔々は今のような原典主義という意識は希薄で、古い
時代の失われた用法だったりしたら、躊躇なく改作するということが
常態だったと考えていいということだろう。



さて、山部赤人が生きた時代にあって富士山は、ほぼ現在の形状とな
っていた。富士五湖や青木ヶ原樹海が成立したのは、赤人が死んだ後
しばしの時間が経ってからということになる。

それにしても、1300年近く前の奈良時代に、都から遠路はるばる富士
の嶺を見物しにいったものかと、おそらくは都にやってきた東人から
富士山の話を聞いて“ひとつ、俺も観に行ってこようかな”と旅する
好奇心の強さには感心するばかりなのだ。
                            [続く]

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