顧話§今日の歴史~西高島平から三田~
1976年5月6日、都営地下鉄三田線が全線開通。
かつて、都営地下鉄6号線と呼ばれていた三田線が全線開通した時、
板橋区は赤塚というところに下宿して大学に通っていた。利用してい
たのは成増から池袋までの東武東上線だったから、三田線に乗ること
はほとんどなかった。
必要があって乗ったのは開通した翌年、大学4年の就職活動の時に、
面接を受けるために終点の西高島平から神保町まで、何度か往復した
時のことである。
下宿があった赤塚は、荒川の河岸段丘の上にあって、西高島平に向か
う時は、けっこうな坂を下っていったことを思い出す。で、西高島平
から志村三丁目までは、右に高島平の団地群を眺める高架を走って、
その先から地下に潜るのだ。
ただ、下宿から西高島平までは徒歩で20分ほどもあり、そのルートで
神保町を行き来するのは実に不便だと感じた。それだからというわけ
ではないが、就職して最初に住んだ最寄り駅は荻窪だった。
その後三田線は、2000年に白金高輪などを経て目黒まで延伸し、さら
に東急東横線の日吉まで直通運転されたのである。
開業してしばらくは地味めな印象を抱かされた三田線だが、どうして
どうして、大手町や日比谷を通る通勤路線としての存在をしっかりと
主張しているではないか。
最後にオマケの動画を貼っておく……ベルリンフィルのホルン吹きが
東京の地下鉄駅をたどたどしく朗読しながらの『地下鉄ポルカ』もし
くは“ニシタカシマダイラ”です。
《鉄道のトピックス一覧》
かつて、都営地下鉄6号線と呼ばれていた三田線が全線開通した時、
板橋区は赤塚というところに下宿して大学に通っていた。利用してい
たのは成増から池袋までの東武東上線だったから、三田線に乗ること
はほとんどなかった。
必要があって乗ったのは開通した翌年、大学4年の就職活動の時に、
面接を受けるために終点の西高島平から神保町まで、何度か往復した
時のことである。
下宿があった赤塚は、荒川の河岸段丘の上にあって、西高島平に向か
う時は、けっこうな坂を下っていったことを思い出す。で、西高島平
から志村三丁目までは、右に高島平の団地群を眺める高架を走って、
その先から地下に潜るのだ。
ただ、下宿から西高島平までは徒歩で20分ほどもあり、そのルートで
神保町を行き来するのは実に不便だと感じた。それだからというわけ
ではないが、就職して最初に住んだ最寄り駅は荻窪だった。
その後三田線は、2000年に白金高輪などを経て目黒まで延伸し、さら
に東急東横線の日吉まで直通運転されたのである。
開業してしばらくは地味めな印象を抱かされた三田線だが、どうして
どうして、大手町や日比谷を通る通勤路線としての存在をしっかりと
主張しているではないか。
最後にオマケの動画を貼っておく……ベルリンフィルのホルン吹きが
東京の地下鉄駅をたどたどしく朗読しながらの『地下鉄ポルカ』もし
くは“ニシタカシマダイラ”です。
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