懐話§昭和四十年代~東京電環~

[承前]

東京で予備校通いを始めたのは昭和四十年代の終わり頃。一か月おき
くらいに実家を行き来していた。利用していた当時は国鉄である。

片道2時間ちょっとだったから、日帰りで往復することができた。最
寄駅へは高崎線からも東北本線からも一度乗り換えて、どちらからも
似たような所要時間なのだった。

そして切符の券面には、当時の山手線内の呼称として“東京電環”と
印字されていた。国鉄内で使われていた“東京電車環状線”の略称と
いうことである。東京山手線内が使われるようになったのはもう少し
後のこと。

だから、山手線内だったらどの駅でも自由に下車することができた。
便利といえば便利だった。切符を売る側にしても、山手線内全駅を用
意する必要がなかったということである。

ところで料金計算の起点は、やはり東京駅なのだろうか。
                            [続く]

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