心話§ブラームスの交響曲第4番第4楽章
初めての海外旅行は、1980年から1981年の年末年始を利用してのもの
だった。ウィーンをベースに、ザルツブルクとミュンヘンそれぞれに
一泊して大晦日のウィーンに戻ってきたのである。
その当時はまだ、ブラームスの交響曲を聴いてはいなかったと思う。
せいぜい1番くらいではなかっただろうか。だが、あの時に聴こえた
のは交響曲第4番の終楽章だった。
ザルツブルクから国境を越えて、ドイツに入った列車の窓から見えた
風景は凍てついて荒涼と寒風の吹く野原で、それを眼にした瞬間に、
ブラームスの交響曲第4番第4楽章が頭の中で鳴り出したのだ。
それはあまりにも唐突で、だがあまりにも殺伐とした光景と終楽章の
シャコンヌの音楽がぴったりとはまっていたのである。
ブラームスが作曲しながら、頭の中でどのような風景を眼にしていた
のかはわからない。ただ、彼が生まれ育った北ドイツの厳冬の様子が
奥底にあったと想像するのも“あり”だろう。
本当に時折で稀なことだが、ある風景を眼にしながら、そこに音楽が
突然鳴ることがあるのは、いかなる脳内の為せる技であるものか……
そういえばアウトバーンを快適に走りながら、モーツァルトのホルン
協奏曲のCDを流したりするが、その音楽もまたなだらかな起伏が続
く南ドイツの田園地帯の風景とマッチしていることを思い出した。
《クラシックのトピックス一覧》
だった。ウィーンをベースに、ザルツブルクとミュンヘンそれぞれに
一泊して大晦日のウィーンに戻ってきたのである。
その当時はまだ、ブラームスの交響曲を聴いてはいなかったと思う。
せいぜい1番くらいではなかっただろうか。だが、あの時に聴こえた
のは交響曲第4番の終楽章だった。
ザルツブルクから国境を越えて、ドイツに入った列車の窓から見えた
風景は凍てついて荒涼と寒風の吹く野原で、それを眼にした瞬間に、
ブラームスの交響曲第4番第4楽章が頭の中で鳴り出したのだ。
それはあまりにも唐突で、だがあまりにも殺伐とした光景と終楽章の
シャコンヌの音楽がぴったりとはまっていたのである。
ブラームスが作曲しながら、頭の中でどのような風景を眼にしていた
のかはわからない。ただ、彼が生まれ育った北ドイツの厳冬の様子が
奥底にあったと想像するのも“あり”だろう。
本当に時折で稀なことだが、ある風景を眼にしながら、そこに音楽が
突然鳴ることがあるのは、いかなる脳内の為せる技であるものか……
そういえばアウトバーンを快適に走りながら、モーツァルトのホルン
協奏曲のCDを流したりするが、その音楽もまたなだらかな起伏が続
く南ドイツの田園地帯の風景とマッチしていることを思い出した。
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